いつの時代も自己啓発本が書店で並んでいます。リーダーシップやマネジメント、モチベーションなど多岐に渡ります。
ただ、それらの本の主題には、「いまこの人生をどう生きるか」「生きる意味とは」というテーマが隠れています。
この「どう生と向き合うか」に関して文字通り死を徹して向き合ったのが、ご存じニーチェでした。
彼の思想は100年の年月を経ても色褪せることなく、読者の本質を貫いてきます。
またそれは、辛く過酷ですが、とても純粋で本来的な思想だと感じています。
さて本記事では、ニーチェの人柄・来歴から、彼がどういう社会情勢の中で、「生と向き合う=闘う」
哲学を立ち上げて、生きる意味を見出していったのかを要点を押さえて説明します。
目次
ニーチェの来歴
ニーチェの生涯を一言でいってしまうと「若くして成功に恵まれたが、晩年は挫折と苦悩を抱えつつ執筆活動を行い、最後は精神を病んで亡くなってしまった」とまとめられます。
●1844~1900年のドイツの哲学者
当時のドイツは、宰相ビスマルクの下、普仏戦争などを経て、ヨーロッパの強国へと成し上がった時代でした。
旧来の古いキリスト教的価値観と、産業革命を契機とした新しい資本主義的価値観がぶつかりあった混沌の時代でもありました。
●「真理」「善悪」「どう生きるか」という当時のヨーロッパの社会通念の前提条件を痛烈に否定
これは彼の思想の神髄です。当時(現代も)、ヨーロッパの思想はキリスト教をもとにしたものでした。
誰も疑わなかったその「清貧を良しとする価値観」や「禁欲主義」に疑問を抱き、自身の思想を作り上げます。
●スイスバーゼル大学教授。病状が悪化し、35歳で辞任。45歳で精神病入院
ニーチェは21歳の頃、ボン大学→ライプツィヒ大学へ入学、公明な学者であったリッチュル教授のもとで古典文献学(ギリシャ・ローマの古典を研究する学問。当時の文系学問の主流)を学びました。
この古典文献学の論文で学内褒賞を獲得し、若年24歳でスイスのバーゼル大学の教授に就任します。
若くして教授に抜擢されるものの、その後体調を崩します。
ニーチェの代表作とも言える「ツァラストゥストラ」や「道徳の系譜学」が執筆されたのはこの体調を崩し始めた40歳前後の時期です。
●精神病発病と同時期に著作や思想が徐々に評価されていくが、ニーチェの死後妹の勝手な判断でナチズムに悪用される
精力的に思想活動を行っていた時には評価されなかった不遇の人でした。これは画家ピカソも同様ですね。
満55歳で生涯孤独のまま人生の幕を下ろしました。
ネガティブなイメージは、妹が悪用したナチズムの部分にもあるかもしれません。
ニーチェの生きた19世紀のヨーロッパの経済状況
前世紀のイギリスから始まった産業革命を背景に、ヨーロッパ全土に資本主義の波が襲いました。
また旧来の価値観の根幹を担ってきた「キリスト教」が、文化の多様化や他の思想に触れる書籍の発達により、その地位を揺さぶられつつありました。
その中で、ニーチェは
「儲けるため、自分の欲を満たすために、人を裏切ることが当たり前に行われている人間社会」を目の当たりにします。
・企業は若者に門戸を閉ざし、功労者を追い立てる
・企業は表示を偽り、人々を欺く
・司法の番人が罪を作り、教育者(聖職者)は欲におぼれ、親は子を後回しにする
・新聞は誤りだらけで、政治家は約束を破る
→そして誰も恥じない社会
このニーチェによる社会分析は、現代社会でも当てはまる部分があるかと思います。
彼は、この「誰も恥じない社会」の原因を「ルサンチマン(妬み)」と「ニヒリズム(諦め)」という二つの概念に集約しました。
これらの価値を転換すべく、彼は思想を重ねていきます。
ニーチェの思想
ルサンチマン(妬み)は自分を人生の主役から追いやる
人は誰しも、必ず困難な場面や理不尽なシーンに出くわし苦悩します。
そこでいわゆるたられば思考(こうあればよかったのに、こうしておけばよかった)を多くの人は繰り返します。
例えば、
- お金持ちの資産家をみて、「あんな資産家の家に生まれていれば幸せだろうになあ」
- 美人の友人をみて、「なんで自分はもっと容姿に恵まれなかったのか」
- 時代を恨み、「どうして就職活動の時期にリーマンショックが起こってしまったのか…」
社会的・経済的に弱い人間ほど、こういったルサンチマンを強く持つ傾向にあります。
しかし、このルサンチマンの感情を常に抱えていると、何より自分自身を腐らせてしまうとニーチェは言います。
ルサンチマンを抱えていては「今この状況のなかで私はどう生きるか」という前向きな気持ちも持てず、受け身の姿勢になってしまいかねない、と。
『ツァラトゥストラ』では次のように語られています。
そうだった。これこそ意志の歯ぎしりであり、最も孤独な悲哀である。
すでになされたことに対する無力 ー 意志はすべての意志は過ぎ去ったものに対して怒れる傍観者である。
こうして意志は憤懣と不興から様々な石を転がして、自分ほど憤懣と不興を感じていない者に復讐をする。
これこそが、これのみこそが、復讐というものだ。復讐とは、時間と時間の『そうだった』に対する意志の反抗である。
過去へ戻って過ぎ去ったことを修正できることは不可能である。だから、意志は、何か(社会や政治やetc)をあげつらって、何かへ復讐することによって自分の怒りを紛らわせようとする。
『無力からする意志の歯ぎしり』、このようにニーチェはルサンチマンを表現しています。
ルサンチマンの根本にあるのは、自分の苦しみをどうすることもできない無力感と、受け入れ難いがどうすることもできない怒りです。この無力感と怒りを何かにぶつけることで紛らわそうとする心情や情念、これがルサンチマンです。
先述したように、ニーチェの人生も不遇の人生でした。その不遇をどう受け止めて、どう生きる意味を見出すのか。
ルサンチマンに囚われてしまうと、自分を自分の人生の唯一の主体として生きる力を失ってしまいます。つまり、ルサンチマンは、自分自身を人生の主役から追い出すのです。
キリスト教を生んだのはイエスではなく、ルサンチマン
ニーチェはルサンチマンこそが、キリスト教、つまりヨーロッパの価値観の礎を産み出したと考えています。また、ルサンチマンから生まれた文化は何の創造性も持たないと主張します。
結果、ルサンチマン批判はヨーロッパ文化の総体への批判に繋がり、またこのような価値を徹底的に転換せねばならぬという「価値転換」の主張へつながっていきます。
キリスト教が生まれた当時、ユダヤ人はローマの支配下にあって苦しんでいました。ユダヤ人たちにも王がいましたが、王はむしろローマ国と結託していました。そのためユダヤ人の一般民衆は、王に対してもローマ人に対しても鬱屈した感情を抱いていました。しかし反抗することもできず無力に嘆いている。生きる意味も見失っていました。現実として強者になることは不可能でした。
そこで用いた概念が「神」でした。ユダヤ人は神を用いることで観念上で強者になろうとしたのです。神という僧侶的価値観を持ち出すことで、価値の転倒を謀りました。
僧侶的価値観は物事を「善・悪」で評価します。ここでの善は、自分が心地よいことではなく、あくまでも神からみて正しいことを指します。そして、悪は神からみて悪いことを指します。
つまり、「神からみて正しいかどうか」で価値が決まります。そしてこの「善・悪」の背後にはルサンチマンが隠れているとニーチェは説きます。
ユダヤ人は貧困に苦しみつつ、権力と富をもつローマ人や王族を憎んでいた。しかし現実においては勝つことができない。そこで、彼らは復讐のために神を作り出した。
「あいつらには敵わない。私たちは苦しめられている。でも天国にいけるのは清貧な生活を送り神を強く信仰する私たち貧しい者のほうだ。富める者や権力者は悪人であり地獄へ落ちるのだ」と。自分が心地よくなって自己肯定をするのではなく、神を用いて強い他者を否定することで、自己肯定することが僧侶的価値観の本質だとニーチェはいいます。
一方で、ニーチェはキリスト教を完全否定している訳ではありませんでした。
『力への意志』のなかでこのように述べています。
キリスト教的な道徳仮説はどんな利益をもたらしたか。(1)それは生成と消滅の流れのうちにある人間の卑小さや偶然性にたいして、人間に絶対的価値観を与えた。(中略)(4)それは人間が自分を人間として軽蔑しないように取り計らった。それは一つの保存手段だったのである
つまり人生にいかなる苦悩があったとしても、その苦悩に耐えて清貧に生きた人は天国で幸せになれると説くキリスト教には、人間の生きる意欲を守っている面も確かにあった、といいます。とはいえ、多様な価値観が生まれ、もうそのシェルターは完全に強固なものではなくなってきた。人間は新たな価値観のもと、新たな時代へ踏み出さねばならないのだと、ニーチェは考えていました。
これを一言で表したのがニーチェが著した最も有名な言葉『神は死んだ』でした。
至高の価値を失った状態=ニヒリズム
『神は死んだ』とは直接的にはキリスト教の神が信じられなくなった状態を指しています。ただ、それは同時に、これまで信奉されてきたヨーロッパの最高価値すべてを否定し、人々が目標を喪失してしまった状態でもあります。このような事態を、ニーチェはニヒリズムと呼びました。
ニヒリズムとは何を意味するか?ー至高の価値群がその価値を剥奪されること。目標が欠けている。「何のために」の答えが欠けている。
『力への意志』
「至高の価値」の典型は神ですが、近代~現代までを照らし合わせて考えると、資本主義や社会主義、今アメリカを中心に盛り上がる国粋主義、あるいは人類、社会、家族など様々な概念を考えることができます。
キリスト教の言葉で言えば「ミッション」、生きる上の理念とも言えると思います。
人々が何を目指してよいのか、何のために生きるのか分からなくなる、そうした状態がニヒリズムだといえます。
現代日本で考えると、戦後、高度経済成長期にかけて、社会全体には「豊かさ」という共通理念、「欧米に追い付き、追い越せ」という目標がありました。その後、順調に成長していきGDP世界NO.1を達成し経済が成熟して以降、人々の価値観が「豊かさを求め頑張る」ではなく、「個々の生活を楽しむ」というように変遷してきました。
現在では、個々の夢や社会全体での目標が与えられない時代に突入しています。「どこに向かって生きていいのか分からない」人が増加しています。その意味では、日本社会もニヒリズムの状態にあるといえます。
ではこのニヒリズムを克服するにはどうすればよいのか。
生きる意味を強く実感するには、永遠回帰を仮定しろ
「永遠回帰」とはこれまでの同じ人生を無数に繰り返す、というニーチェ独自の概念です。またニーチェ思想の根幹を成す概念です。ただ、この概念はあなたを打ち砕くかもしれない、とニーチェはいいます。
なぜなら、自分が忘れてしまいたい最悪の過去も戻ってくるからです。これまでのことをなかったことにしたい、そのために頑張っているような人は絶望してしまうかもしれません。
ニーチェは、この永遠回帰を受け入れることができるかどうかが人間を強者と弱者へと選り分ける要だと考えました。
人生には苦悩があります。そして苦悩と無力感からは「ルサンチマン」が生まれます。しかし「永遠回帰」は「もしお金持ちの家に生まれていれば」や「もっと美人ならば」などの「たら・れば」を無効化します。そして他ならぬ自分の人生を「これでよし!もう一度、もう一度」と肯定する方向へ向かわせる、このような生の肯定に作られた物語が「永遠回帰」なのです。
キリスト教は、聖書に基づく教えを守れば死後天国へいけるという物語をベースに価値観を作り出していました。ニーチェは「神が死んだ」今、「あの世の物語」に変わって新しいストーリーを提供しなければならなかった。この永遠回帰の物語は人々に非常に過酷な生き方を迫るものではある。でもそれを受け入れることは必ずや自分の生を肯定する方向へと繋がるはず、ニーチェはそう考えました。
※ちなみに永遠回帰の自然科学的な意味付けは下記の記事(【哲学】宇宙と細胞から考える「なぜ生きるのか」)にまとめています。
一言で言うと、「すべての物質はビリヤードの球なのだから、永遠に動き続けるのならばいずれ元の状態に復帰する」です。
【哲学】宇宙と細胞から考える「なぜ生きるのか」
悦びが一度でもあるのならば、その人生は正しい
世界はただ意味もなく、ぐるぐると「永遠回帰」しているだけである、とニーチェは説きます。ただ永遠回帰の思想は、新たな創造への価値観でもあります。(あるいは、なければなりません)
永遠回帰の思想は、汝の行為がいつも無限の繰り返しとしてそう欲されるべきものとなるように行為せよ、という命法として解釈されています。
「一度だけ」と欲するような軽い気持ちの行為や生半可な意欲はすべてふるい落とされることになります。
つまり、永遠回帰の思想は、「こうであればよかったのに…」という仮定を消し去る結果、ルサンチマンを根本から消す。
かっこよくいうと
『生の一回性を利用して、世界と生そのものへ復讐しようとするルサンチマンの欲望を無効化する』といえます。
「これでいい」ではなく「これがいい」となることを目指す生の肯定を実現するのが永遠回帰の思想なのです。
辛いことが多い人生、どう愛すべきなのか、ニーチェの『ツァラトゥストラ』の一節を回答として引用します。
あなたがたはかつて一つの悦びに対して『然り』と肯定したことがあるか?
おお、私の友人たちよ。もしそうだったら、あなた方はまたすべての苦痛に対しても『然り』といったこととなる。
万物は鎖によって、糸によって、愛によって繋ぎ合わされているのだから。
最後に
ニーチェの思想は、「生きる意味」を見失いがちな現代を生きる私たちにこそ必要なものだと思います。社会理念もなく目標もないこの時代、こう生きるべきだという道しるべを示してくれています。
もし自分が、自分自身で人生を創っていく主役でありたいと願うのならば、何が自分を喜ばしくするのかを問いていく以外方法はありません。一見過酷な思想です。
『こうやって生きるべきというものはない。どのように自分が生きてもいい。そしてどのような絵を描くのも自分に委ねられているのだ』というニーチェの思想は、本当の意味で自由で創造的な思想なのかもしれません。
ニーチェの思想をより深く触れたい方は、下記が易しいのでおすすめです。