「なぜ生きるのか」とふと考えるタイミングがあります。
これまでこの深遠な問いは、世界中の様々な賢い人たちによって議論されてきました。
本記事ではストレートにその問いに進むのではなく、なぜこの問いが生まれてしまうのかというところから始めたいと思います。
そもそも、「なぜ生きるのか」という問いは「私」という「意識」が成り立ったことにより生まれた問いだといえます。
犬や猫、ましてや虫などは「私」という「意識」の成立には程遠く、「何を食べよう」「どこへ行こう」などの短期的な視点では考えているかもしれませんが、
「なぜ生きるのか」という長期的な視点、「私」というものの存在までは考えていないでしょう。
そこで、今回、この「なぜ生きるのか」という問いを、
『「私」という意識がどうやって成り立っているのか』という問いから始めたいと思います。
私たちが生まれ、生きているこの宇宙のそもそも成り立ちというマクロの視点から始めてみます。
目次
マクロの世界 宇宙はどうやって生まれたのか
私たちが住んでいる地球は太陽系といわれる空間にあります。こういった太陽系などの星の群れが無数に集まった星の集団が銀河と呼ばれます。
そして宇宙には、そんな銀河が現在見えているだけで1000億個もあるといわれています。これは途方もない数、かつ良く分からないほどの広さです。
この動画を見ると、本当にとてつもなく大きいことが実感できます。
私たちがいる太陽系は、1000億個ある銀河のうちの一つ「天の川銀河」の中心から約2万8000光年も離れた端っこにあります。天の川銀河のなかでさえも田舎といえます。
この宇宙がどうやって生まれたのでしょうか。
様々な説がありますが、現在有力とされている説は、「宇宙は真空から生まれた」というものです。
まず「真空」とは何でしょうか。
空気も何もないただの空間を思い浮かべると思います。しかしながら、完全に何もない空間というのは存在しません。
実は真空をよく見ると、そこでは原子よりもさらに小さなミクロの素粒子が突然パッと生まれては、次の瞬間は無くなっているという現象を繰り返しています。
つまり、真空は単純な無ではありません。
直感上わかりにくいですが、一見何もない空間、真空の中ではミクロの素粒子がパッと生まれていてはパッと消えている、そういうものだと一旦考えてもらえばいいと思います。
さらに、宇宙は「この瞬間」という時間的な一点から生まれたのではない、といわれています。
宇宙が始まった当時は、「時間」という概念が、現在私たちが感じる「過去→未来」という継続したものではなく、いわば過去も未来もない「虚数の時間」(i)だったと考えられています。我々の脳ではその状況をうまく想像することができません。なぜなら、歴史的に私たちの脳は「過去→未来」という時間の流れをベースに思考するように進化してきた為です。
その「虚数の時間」の中で、どこがはじまりなのかも分からない「真空」の中で、宇宙は極めて僅かの大きさをもった存在として、ポッと出現することになりました。
どうやってポッと現れたか。これは「トンネル効果」だといわれています。ミクロの物質は、一時的にどこからかエネルギーを借りることができるのだそうです。
この不思議な「トンネル効果」が発生し、本来パッと生まれてパッと消滅していた粒子が、きちんと残存してしまった。
その瞬間、「虚数の時間」は私たちが認識できる「過去→未来」の時間に変化し、その10の34乗分の1秒後、ビッグバンが発生、宇宙が爆発的に膨張をはじめました。
宇宙の誕生から、10の3乗分の1秒後、宇宙の温度は1000億度に達し、3分後にはヘリウムなどの原子核が生まれたと分析されています。
宇宙は科学的に不可解な事象が多い
様々な科学分野や理論にあたると、そもそも宇宙というものが、人間や生物に都合よく出来すぎているということが見えてきます。
そもそも三次元の空間でなければ生物など生まれません。あらゆる力学が現在のようで無ければ、地球など太陽の周囲をうまく周ることができず、どこかへ放出されます。
もっとミクロの視点でいえば、電磁力の強さを決める電気素量の値や、陽子や中性子を欠どうして原子核を作る強い力の強さを決める結合常数が、もし今のこの世界の値から僅かでもずれていたならば、有機物を作る元素である炭素が宇宙の中で合成されなくなります。
当然、炭素が無ければ有機物である生物も生まれません。タンパク質が無ければDNAが作れず、DNAが無ければタンパク質が作れません。
生物誕生の時、これら「タンパク質」と「DNA」は同時に存在したことになります。こういった例は枚挙にいとまがありません。
まるでこの宇宙の仕組みが生物を誕生させるために作られているような気がしてきます。
もちろん、これらの言説に対して
「人間の目線から見ればそうであって、現に誕生した世界で、誕生した主体がみればそうなる。あくまでこのような宇宙が生じたのは偶然である」という反論もありうるかと思います。しかしながら現代の宇宙科学でも解き明かされていない部分が大変多くあり、それらを加味して考えるとまた違った視点が見えてきます。
2003年、アメリカの航空宇宙開発局NASAが打ち上げた宇宙探査機WMAPの観測によって、「宇宙の96%は正体不明の物質やエネルギーから構成されている」という調査結果が発表されました。最新の研究では、約95%が現代科学では正体不明だといわれています。
つまり生命の身体、空気や惑星といったものを構成する、物質やエネルギーのうち私たちは5%しか理解していないことになります。
では残りの95%は何なのでしょうか。そのうち23%は「暗黒物質」だといわれています。
そのうちの一つが最近ノーベル賞を受賞した、いわゆる「ヒッグス粒子」です。
正体不明なためはっきりとしたことはまだ研究途上ですが、重さがあり、他の物質とは反応せず素通りしてしまう粒子だと分かっています。
この暗黒物質は、あなたがこの記事を読んでいる今現在も地球に降り注ぎ、私たちの身体をすーっとすり抜けている、割とありふれた存在です。
そして、この「暗黒物質」は異次元を移動しているのではないかという学説もあります。
ミクロの世界 原子・細胞はどうやって成り立っているのか
さて、宇宙のマクロな視点はここまでにして、今度はいったん逆の、原子などミクロな視点から、「私」という意識を積み上げてみたいと思います。
なぜなら、脳の仕組みを細胞レベルで把握できたらば、「私」という意識の存在やその意味もわかる可能性があるからです。
脳は「素粒子」でできている
脳は約千数百億個の神経細胞がそれぞれ無数のシナプスで接合されて構成されています。脳だけでもこの膨大な数字ですが、人体全体で考えると、本当に無数にのぼります。
例えば、人体を構成する上で最も重要な物質のひとつ、「タンパク質」についてみていきます。
タンパク質は、20種類のアミノ酸の結合の仕方によって、約数千万種類があるといわれています。
例えば、タンパク質を構成するアミノ酸のひとつ、アラニンは、H3C、NH2、OH、Oから成り立っています。つまりそれぞれの原子の結合体による化学物質といえます。当然のことながら、脳もミクロの世界でみれば無数の原子、その結合によって形成されています。さらに、その原子は、より小さな陽子、中性子、電子からできています。そしてさらに、その陽子、中性子は、もっと小さな素粒子(クォーク)からできています。
つまり人間の身体はすべて化学的物質です。これは脳内の神経細胞も同じです。
神経細胞は原子の結合体で、つまりミクロの物質により化学的な働き、つまり発生する無数の電気信号などで活動しています。
ではなぜ、このような無数の化学的反応から意識が生まれるのでしょうか。直感的に考えると不思議に思えてきます。
「私 」たちは自分で考えて、自分で行動していると思っています。ただこれを反証する実験結果があります。
ベンジャミン・リベットという科学者による実験によると、人間は何かしようと意志を起こすとき、実はそれより前に本人にわからない所で既に脳のその部位が反応している、という結果が出ています。
例えば、指を動かそうとする意志よりも先に、その指を動かす役割を担っている脳の神経部分が反応しているのです。
この実験では、脳が指を動かそうとした0.35秒後に、意識、つまり「私」が指を動かそうという意志を持ちました。
実際に指を動かしたのは、その意識、つまり「私」が指を動かそうと意志を持ってから0.2秒後です。この結果をもとに多くの脳科学者は以下のように結論付けています。
- 意識「私」をつかさどる脳の特定部位は存在しない。
- 脳の大局的な働きによって、「私」という意識が生まれる
- 脳がなければ、もちろんこの意識は発生しない。
- 脳の活動が、「私」という意識に反映されている
- しかし、「私」という意識によって、脳に何らかの因果作用をもたらすことはできない
これはつまり、「私」という意識は、決して主体的なものではなく、脳の活動を反映する「鏡」のようなものである可能性があるということです。
「私」という意識が「ひらめいた」と感じた時、実はその0コンマ何秒か前に実は脳が「ひらめいて」いるのです。今、あれでもないこれでもないと思っているこの「私」という意識は、自分のやることも何かを思うことも実は決定していません。決定していると思い込んでいるだけで、実は私たちが認識できていない領域、つまり、脳の決定を遅れてなぞっているだけなのです。
ベンジャミン・リベットの仮説に則れば、これが「私」という意識の正体です。
人間の意識は入れ替わっている?
人間の身体は、食べ物を食べ、排せつをすることなどで、実は1年程度するとその構成している原子は全て入れ替わっています。これは脳の細胞も同様です。
つまり、今現在ある私たちの指も、絶えずその中身は入れ替わっています。ではなぜ入れ替わっているのに、同じ形・同じ機能を維持できているのか。それは、DNAとその指の中にある無数の原子が、それぞれの特徴の中で、これまでと同じように構成するように決められているからです。
またなぜ入れ替わる必要があるのかというと「エントロピー増大の法則」がある為です。
簡単に説明すると、原子レベルで見れば、すべての物質は乱雑に方々へ散っていく法則です。固体もいずれ分解されていきます。それを防ぐために、生物は自己を構成する無数の原子を常に新鮮に保つ必要があります。
この前提を考えると、人間自体も「入れ替わりながら固まりが維持されている原子の結合体」に過ぎないことが見えてくると思います。
もっというと、人間は「身体は常に入れ替わっているのに、『自分』というものがあるのだと思い込んでいる結合体」です。
「私」という意識は、脳に何らかの因果作用を与えることができないことは先ほど説明しました。
意識よりもさきに脳が反応しているということです。
「私」という意識は、自分が思うことも何かをやることもすべて自分では決定していない。決定していると思い込んでいるだけで、実は私たちが関与できない領域、つまり脳の決定を遅れてなぞっているだけなのだと。
ではなぜそもそも、こんな有用でない「私」という意識というものが脳内に出現したのでしょうか。また出現しなくてはならなかったのでしょうか。
これには進化の過程が関わってきます。
1つの学説によりと、「私」という概念を持たない下位の意識、いわゆる原意識は、爬虫類→鳥類、爬虫類→哺乳類へ進化していくあたりで発生したといわれています。
この進化の段階の際に、「視床」と呼ばれる脳の一部位と、脳の周りを取り巻く「皮質」との間に双方向の神経回路が出来上がったことから原意識が発生したといわれています。なぜならば、意識があった方が、あらゆる外的要因に対応でき、生物の生存戦略として有利だったためです。脳が意識という鏡に自らを反映させることで、その脳内の活動を自らが把握しやすくなるからです。
更に、「私」という意識概念が発生したのは、その回路がより複雑になっていったからと分析されています。
この「高次の意識」は、人間と、加えてチンパンジーに少しあるのではないかといわれています。
では、なぜこのような「高次の意識」=私という「意識」が生まれたかについては、記憶が大きく関与しているといわれています。
膨大な記憶を処理する際に、「これはすべてこの個体が経験したことだ」という「統一感」が必要となったのです。
そうでないと、混乱し、適切に動くことができなくなってしまう。
だから、「私」という存在が、「入れ替わりながら固まりが維持されている原子の結合体」として発生することになったのです。
もちろん、これが現代の脳医学における「事実」とは断定できていません。他には
・「脳がきっかけだが、意識は拒否権をもっている」という説
・「意識は脳の活動に働きかけることができる。意識が主体だ」という説
など様々な学説があります。ただ現在としてこのような有力な学説があるということは知っておいて損はないと思います。
ここで言えることは、「私」という意識がいなければ、脳は自身の活動をしっかり把握することができません。つまり意識とは、こと人間の脳にとって必ず必要なものなのです。結局のところ、これは「私」=「脳」という結論と同じともいえます。
日本では広く浸透している、「魂」という概念。
ここでは、「死んだ後も意識が残り、ぼんやりとした塊として存在し、やがて消えていくもの 」だと定義します。
意識が脳のメカニズムの産物であるならば、脳の活動を反映する鏡である「意識」すなわち魂は存在しない可能性が大きいです。脳の消滅とともに意識は消えてしまうことになります。
世界が人間にとって出来すぎている2つの理由
「宇宙が人間にとって都合が良すぎるのではないか」という問いについて考えてみたいと思います。主に2つの答えが考えられます。
■1.偶然
残念ながら偶然という可能性があります。
我々の社会を遠くから原子レベルで眺めたとすると、現在の人間社会も、原子が結合しては離れていく情景、全ては単なる原子の化学的な連鎖反応にすぎません。例え、私たちの認識では「生命」と呼んでいても、それはただそうなっているだけで、何の意味もないということができると思います
■2.原子の結合の発展は、この世界の「ある状態」と接続する可能性を有していたという仮説
生命も、元を辿れば、原子の化学的反応にすぎません。
ただ、これには意味付けがあったという仮説です。私たちの「意識」を作り出す脳は、原子の集合体であることは先ほどミクロの解説の部分で言及しました。
2の仮説に則ると
『原子たちはある結合の仕方をすると、「意識」を創り出せることがある』
もっと言うと
『原子たちには、もともと「意識」を作り出す能力が備わっていた』
これを正しいと仮定して議論を進めてみます。
「人間の「意識」は「脳」に働きかけることができない」という先述のベンジャミン・リベットの学説が着目すると
『人間の「意識」=「原子の集合体によって創り出された無形のもの」は、「脳」=「無数の原子の集合、有形のもの」に対して働きかけることができない』ということになります。
意識はどの物体にも働きかけることができません。
一方で、音は無形ですが波があり振動によって何かに働きかけることができます。同じく重力もそうです。
つまるところ、「意識」が属している領域は、別の「次元」にはみ出しているのではないか、ということが考えられます。
同じように、マクロの説明で触れた「暗黒物質」についても、別の次元を運動している物質かもしれないと最新の現代科学で唱えられています。
つまり、原子はもともとその性質から結合しながら「別の次元」へ向かう性質をもっていたのではないか、とも言えます。
「次元」といってもどこか遠くにあるだけではなく、明解な境界もなく、この世界の表と裏のような形で重なり合ってるのではないかと考えています。
もしかしたら「幽霊」という存在も、この次元の間にはまり込んだ「意識の欠片」なのかもしれません。
さらに誤解を恐れずにいえば、
原子と原子の結びつきだけの生物未満の状態から人間へと進化した、この大きな流れは、「意識」を発生させるためにあったとも考えられます。
原子たちは必然的に多次元に接続しようとし、結果として意識を作り出すようにできているとも言い換えられます。進化論として、自然淘汰的に意識の創造へと向かった生物の動きも、原子レベルでみれば、あくまで「別の次元」へ吸い寄せられていったではないか、そう考えられます。
そうなると、この「意識」には、つまり我々人間の存在には意味がある、といえます。人間的な概念の「生きる意味」とは違うかもしれないですが、少なくともただの偶然にはみえてきません。なぜなら、そもそも原子たちにはその結合によって意識を作り出すことを運命付けられていたからです。
これはそのまま、宇宙が生物や人間にとって都合よく作られている理由にもなってきます。
では、これまで言及してきた「別次元」とは何か。まだ現在の科学では解き明かせない部分になると思います。
科学はまだ万能ではありません。量子論と相対性理論の統合もなされていません。
目に見えない「暗黒物質」や「暗黒エネルギー」が身の回りに溢れているならば、「別次元」がないと誰も言いきれません。
人間が死ぬと、その原子の結合は崩落していきます。でもその瞬間我々の意識はどこかの「入口」から「別次元」へスーっと移動する可能性もあるかもしれません。
もしかしたら、その瞬間私たちはこの世界の全ての事実に気づくかもしれません、もしくは何かの養分として吸い込まれるだけかもしれません。これは死ぬまでわからないことだといえます。
人間の運命はビリヤードの球
ここまで考えると、人間の運命はビリヤードの球のように思えてきます。
例えば、ビリヤードの球を突いたとき疲れた球がその後どうなるかは突いた瞬間にもうわかっています。
突いたときの力の入れ具合、台との摩擦や空気抵抗、どの球にあたってどのくらい反作用を受けるかは厳密に決まっています。
宇宙はビッグバンによってはじまりました。これは、ビリヤードを突くことに例えられると思います。
つまりビッグバンが起こった直後には、もうこの宇宙がこのような形に広がることが決まっていたと言えないでしょうか。
電磁力の強さを決める電気素量の値や、原子核の結合定数が、今この世界の値から極僅かでもずれていれば、原子ひいては人間は誕生していませんでした。
この点などを考えると、人間という生物も、当初のビッグバンの中に組み込まれていた可能性もあるように思えてきます。
「なぜ生きるのか」のまとめ
さて、宇宙の成り立ちについて2つの仮説があると述べました。
1.偶然。人間の誕生も宇宙の始まりも全くの偶然である。運命など存在しない。
2.万物の運命は決まっている。すべては宇宙の始まりの時に決定づけられている。 |
これを人間の視点からみると
1.私たちは全く偶然の連続による人生というショーを見せられている観客である
2.私たちは完全に定められた人生というショーを見せられている観客である |
さて、どちらのほうが正しいのでしょうか。
どちらが正しいにせよ、人間の視点で生きる上で同じことだと私は考えています。
これまでの人生を振り返ってみてみると、私たちは必ず1本の道を辿ってきたはずです。
1の仮説『偶然。人間の誕生も宇宙の始まりも全くの偶然である。運命など存在しない。』を信じる人ならばこういうかもしれません。
ただ、どう生きればいいか悩んでいる人にとっては、この考え方は何の慰めにもなりません。
なぜならば、結局、ここまで一本の道を歩いてきたという事実には相違がないからです。
ここでようやく最初の問い「なぜ生きるのか」に戻ります。
人間という存在は、「自分が死ぬことを知っている意識」であり、さらに過去から現在までの膨大な原子の絶え間ない流れの中で、1本の道に存在しては100年程度で消えていく存在です。
しかし、この世界は人間の誕生の可能性に満ち満ちていた世界です。さらに言えば、原子は結合することで意識を創出する能力をもともと備えていました。ここには何か意味がある、偶然と思うには出来すぎている。
人間は、過去から現在までの膨大な原子の流れに浮かぶ物語とも言えます。
そして「私」という意識には熱量もエネルギーもない為、人間による物理学の法則の外側にあります。つまり違う層、「別次元」にいます。
この奇妙なバランスこそがこの世界なのではないでしょうか。どのような意味があるのかはわかりません。
もしかしたらば、キリスト教などが唱える神のような存在が、私たちの物語を欲し、存在しているのかもしれません。
しかし、私たちはもしも意味があった時のために、ちゃんと生きた方が良い。この1本の物語の中をしっかりと「通過」すべきだ、それが「生きる」ということだと私は考えています。
これまでの歴史で、西洋・東洋ともに生きるための哲学体系を生み出してきました。
西洋は、キリスト教の「神の試練」という考え方です。何か困難が発生したとき、これは運命であり神の試練であると考える生き方です。
東洋は、仏教の「諸行無常」であるという考え方です。一切は無に還るものだから、困難な人生に対しても慌てず冷静に対応すべきだという生き方です。
どちらも正しい観点があると思います。
時には挑み、時にはすべて消えるのだと考える。
例え、運命づけられたものであっても、私たちは主体的に目の前の選択を行い続ける姿勢でいればいい、それが自分の「物語」になっていくはずです。
私の物語は、過去存在した無数の原子たちの上にあります。そして、今私を形作っている原子たちは私の死後も残り、誰かの物語になっていくはずです。
宇宙を支える物理法則は、豊穣で様々な「物語」を生み出すシステムなのかもしれません。
では「良く生きる」にはどうすればいいか。
それを考える上で私の一番おすすめの本が「『普通がいい』という病」です。
精神科医の方が書いた、人生や言葉の本質を書いたような本です。
精神病や心理的な内容も多いけど、ふと自分の人生について見返したいときにオススメしたいです。転職やキャリア本よりも、より核心的なことが書いてあって、なるほど、と何度も納得させられました。
参考文献
- 泉谷閑示「『普通がいい』という病」講談社(2006)
- 佐藤勝彦「宇宙論入門」岩波書店(2008)
- 福岡伸一「生物と無生物のあいだ」講談社(2007)
- 中村文則「教団X」集英社(2014)
- 保坂和志「世界を肯定する哲学」筑摩書房 (2001)
過去にはあらゆる可能性を選んでいる自分がいて、この世界の自分はそのうちの一つにしか過ぎない。いわゆるパラレルワールド、平行世界なんだ。
この世界はその人間の選択によって、その選択の数だけ分裂する多世界なんだよ!