ミスチルの歌詞に見る日本的自己啓発の構造

閉ざされたドアの向こうに 新しい何かが待っていて
きっときっとって 僕を動かしている
いいことばかりではないさ でも次の扉をノックしたい
もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅  (終わりなき旅/1999)


本記事では、Mr.Children
の歌詞に内在する価値観が、日本人の文化的特性に根ざした自己啓発の一形態がよく現れているのではないかという点を論じます。

Mr.Childrenの楽曲は、1989年の結成以降、長期間にわたり世代を超えて支持されてきました。
1993年の4thシングル『CROSS ROAD』以降、ミリオンセラーはシングル10作・アルバム14作。
CDの総売上枚数は6000万枚を超え、日本歴代3位の記録となっています。(1位はB’z、2位はAKB)
2020年発売のアルバム「SOUNDTRACKS」でも38万枚超えを売り上げるなど、30年を超えて売れ続けています。

この事実は、単なる音楽的評価を超え、歌詞に含まれる価値観が多くの日本人に共有されている可能性を示唆しています。本稿では、Mr.Childrenの中での自己啓発的価値観の描き方を紐解くことで、

日本人の自己啓発観の「最大公約数」を解き明かしたいと考えています。

あるべき人間像の描写

完成された主体ではなく、不完全な主体の提示

Mr.Childrenの歌詞に描かれる主体は、完成された理想像ではないと考えています。迷い、未熟さ、不確実性が出発点として設定され、その状態が例外ではなく前提として扱われます。この構造は、自己啓発を「変身の物語」に転換していない点で重要です。

癒えることない痛みならいっそ引き連れて
少しぐらいはみだしたっていいさ 夢を描こう 
(Tomorrow never knows/1994)

この一節が示す最大の特徴は、
「痛みが癒えること」を行動の前提条件にしていない点です。

一般的な成長物語では、

  • 痛みを克服する
  • 傷を癒してから前に進む

という順序が採用されがちです。

しかしここでは、

  • 痛みは癒えない
  • それでも引き連れる

という判断が明示されています。

これは、主体を「未完成な存在」として固定する宣言です。
痛みは例外的な障害ではなく、恒常的に付随する条件として扱われています。

誰を信用して 何に奮闘して この先歩けばいい?
出来レースでもって勝敗がついたって
拍手を送るべきウィナーは存在しない
僕らは夢見るあまり彷徨って
大海原で漂って 寒いぼたてんだ
もっとこの僕を愛して欲しいんだ
(光の射す方へ/1999)

ニヒリズム的な思想に陥りながらも、欠損した自分を欠損したままで前に進めようとする思想が感じられます。

主体が目的地を持たない状態を明確に描写します。
重要なのは、漂流の原因が「夢を見たこと」にある点です。

夢を見ることは肯定されますが、
その結果として主体は迷い、漂います。

ここで不完全性は、

  • 夢を持つが
  • それを実現する設計図を持たない

という形で構造化されています。

つまり主体は、

  • 現実主義者でもなく
  • 理想実現者でもない

中間状態の存在として描かれています。

そして、この中間状態にある未完成な存在を「愛して欲しい」と訴えています。

 

これら二つの歌詞が共通して提示しているのは、
完成された主体を想定しない人間像です。人間ならではの欠陥を前提条件として固定して考えています。

したがって、ここで提示される主体とは、

不完全であることを理由に行動を停止せず、
不完全であることを理由に前に進むことを放棄しない存在

です。

自己否定の解消ではなく、自己否定との共存

Mr.Childrenの歌詞が示す自己啓発は、自己否定を「誤り」として消去しません。自己否定が存在する状態を現実として引き受け、併存させたまま生活と行動を継続する姿勢が中心に据えられます。ここでのポイントは、自己肯定がゴールとして設定されないことです。

あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしている
知らぬ間に築いていた
自分らしさの檻の中で もがいているなら
僕だってそうなんだ 
(名もなき詩/1996)

ここで提示される自己否定は、感情的な落ち込みではありません。
主体は、自分が「あるがままの心で生きられない」ことを弱さとして自覚しています。

重要なのは、この弱さが否定されない点です。
主体は理想的な自己像を掲げて自己を叱責するのではなく、
その弱さを持ったまま生きている現実をそのまま記述します。

また、「誰かのせいにして過ごしている」という表現は、
自己正当化や責任転嫁を告発していますが、
それを断罪や改善要求には接続しません。

ここで自己否定は、

  • 克服すべき欠陥
    ではなく
  • 生活の中で繰り返される現実

として固定されています。

最後の一節「僕だってそうなんだ」
ここで自己否定は、個人的欠陥から普遍的条件へと移行します。

主体は、自分だけが弱いのではなく、
「僕だってそうだ」と言うことで、
自己否定を共有可能な状態へと置き直します。

これは、自己否定を消去するのではなく、
孤立から切り離す操作だといえます。

君は君で 僕は僕 そんな当たり前のこと
何でこんなにも簡単に僕ら
見失ってしまえるんだろう?
(中略)
価値観も 理念も 宗教もさ
ひとつにならなくていいよ
認め合うことができるから
それで素晴らしい
(掌/2003)

ここで扱われる自己否定は、内面の問題にとどまりません。
自己否定は、他者との関係の中で生じる混乱として描かれます。

「当たり前のこと」が見失われるという事実は、
主体が自己を過剰に定義し、他者を誤って理解しようとする状態を示します。

完成された主体であれば、

  • 自己は確立され
  • 他者も安定的に把握できる

はずです。

しかしここでは、
自己理解と他者理解の双方が不安定であることが改めて目の前に提示され、気付かされます。

両曲を統合すると、次の構造が浮かび上がります。

  • 「名もなき詩」
     自己否定は内面に存在し、解消されないまま生活を規定する
  • 「掌」
     自己否定は関係性の中で増幅されるが、
     統合や一致を目指さないことで共存が可能になる

この二段構えにより、自己否定は、

解決すべき欠陥でも
克服すべき障害でもなく、
生と関係を成り立たせる前提条件

として位置づけられます。

 

飛躍ではなく、行動と継続を重視する主体

劇的な飛躍や一回性の勝利を自己啓発の中心に置かない価値観があります。むしろ、迷い・痛み・不完全性を抱えた状態でも行動を止めないこと、生活を継続することが価値化されます。

「終わりなき旅」は、この価値観を最も明確に示す代表曲です。

胸に抱え込んだ迷いが
プラスの力に変わるように
いつも今日だって僕らは動いている
嫌なことばかりではないさ さあ 次の扉をノックしよう
もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅
(終わりなき旅/1999)

この歌詞では、迷いは克服すべき障害として扱われていません。
重要なのは、「迷いが消える」ではなく、「迷いを抱えたまま動いている」という現在進行形の構造です。
迷いは常に胸に残ったままですが、それでも「今日だって動いている」。

ここで行動は、

  • 問題が解決した結果
    ではなく

  • 問題を抱えた状態での必然

として定義されています。

この点で、本楽曲は「飛躍の物語」を明確に退け、
行動そのものを価値の単位として位置づけています。

また最後に

「終わりなき旅」と明示されることで、到達不能性が前提化されています。

この構造において、

  • 成長は完了しない

  • 自己は完成しない

にもかかわらず、探す行為だけは中断されません。

したがって主体は、

飛躍する存在ではなく、
未完成のまま歩き続ける存在

として定義されます。


誰もみんな問題を抱えている
だけど素敵な明日を願っている
臆病風に吹かれて
波風がたった世界を
どれだけ愛することができるだろう?
もう一回もう一回
(HANABI/2008)

最初のフレーズで「問題がなくなったら前に進む」という論理を否定します。
問題は誰にも存在し、それが解消される前提は置かれていません

欠落や傷を抱えたまま再構築する枠組みを提示し、「もう1回」のリフレインで繰り返し継続して挑んていくことを強調されています。

迷いと不安を抱えたまま、なお歩き続けることを価値として提示されています。

 

親密な他者との関係によって規定される自己

続いて、他者との関係性の中に現れる自己啓発的な価値観を整理していきます。

彼の歌詞のなかでは、自己は「他者との関係を通じて規定される存在」としてよく描かれます。ここで重要なのは、関係が理想化されないことです。相互理解の不完全性、すれ違い、解釈のずれが前提として保持されたまま、関係を引き受ける態度が提示されます。

届いてくれるといいな
君のわかんないところで僕も今奏でているよ
(中略)
たまに無頓着な言葉で汚し合って
互いの未熟さに嫌気が差す
でもいつかは裸になり甘い体温に触れて
優しさを見せつけ合う
(Sign/2004)

他者の理解が完全には成立しない構造を内包しつつ、関係を継続させていく様を描写しています。

「半信半疑=傷つかないための予防線」を
今 微妙なニュアンスで君は示そうとしている
(中略)
面倒くさいって思うくらいに真面目に向き合っていた
軽はずみだった自分を羨ましくなるほどに
(しるし/2007)

他者理解の視点が強く出た楽曲です。相互理解や自己理解が完全化しないことを前提に、関係と生活を引き受ける態度が中心に置かれます。

 

同じ気持ちでいてくれたらいいな
針の穴に通すような願いを繋いで
(中略)
「ひとりきりのほうが気楽でいいや」
そんな臆病な言い逃れは終わりにしなくちゃ
(365日/2010)

「Sign」と同様、他者との相互理解を望みつつ、それを押し付けない態度がみえます。
また、他者との相互理解を諦めることを「言い逃れ」と否定し、あくまで他者と臨む姿勢を肯定しています。

社会・集団との関係の中で形成される自己

親密な他者に限らず、社会・集団との関係も自己形成の前提として描かれます。
ただ、社会への違和感が主題化される一方、解決策として「離脱」が提案されません。
むしろ、緊張関係を抱えたまま共存する構造が示されます。

飲み込んで吐き出すだけの単純作業繰り返す
自動販売機みたいにこの街にぼーっと突っ立って
そこにあることで誰かが特別喜ぶでもない
でも僕の放つ明かりで
君の足元を照らしてみせるよ
(Worlds end/2005)

なんてことのない作業が
この世界を回りまわって
どこの誰かも知らない人の笑い声を作ってゆく
そんな些細な生き甲斐が
日常に彩りを加える
(彩り/2007)

世の中のつながりである、眼の前の無意味にみえる仕事や作業を
「なんてことない」「飲み込んで吐き出すだけ」とシニカルに捉えながらも
それに意味を見出して想像力を膨らませ、前向きに取り組んでいく姿勢があらわれています。

 

愛すべきたくさんの人達が
僕を臆病者に変えてしまったんだ
小さい頃に身振り手振りで真似てみせた
憧れになろうだなんて大それた気持ちはない
でもヒーローになりたい ただ一人 君にとっての
(中略)
残酷に過ぎる時間の中できっと十分に僕も大人になったんだ
悲しくはない 切なさもない
ただこうして繰り返してきたことが
そうこうして繰り返していくことが
嬉しい 愛しい
(HERO/2002)

「愛すべきたくさんの人達」が社会・集団を示しており、そこから抑圧されたニュアンスが読み取れます。
ただ、その社会・集団の中でも、「君」という一人の他者との関係性を拠り所に前に進んでいく姿勢が肯定されています。

「愛すべき他者」と同様の表現が後半に出てきます。「残酷過ぎる時間」というフレーズです。

「残酷過ぎる時間」において、報われない経験、喪失、不可逆的な変化を経ていると想像されます。そのうえで「大人になった」と述べている点が重要です。

つまりここでの成熟とは、

・世界(社会・集団)が残酷であることを知った

・それでも世界を否定しない態度を獲得した

という認識と受容の変化を指していると考えられます。

また、この歌詞では、
繰り返してきたこと/繰り返していくことそのものが肯定されています。

  • 変化すること
  • 上昇すること
  • 到達すること

ではなく、

  • 続いてきたこと
  • 続いていくこと

に価値が置かれています。これは先程分析した「変化や飛躍ではなく、行動と継続を重視する主体」と通ずる内容です。

 

成功および幸福の定義に見られる特性

到達点として設定されない成功

ここまでみてきたように彼の歌詞の中で、成功は明確な到達点として設定されません。成功は称号や状態ではなく、生活の中で行動が持続している事実、あるいは欠陥を見つめながらそれでも関与を続けている状態として描かれています。

今僕のいる場所が探してたのと違っても
間違いじゃない きっと答えは一つじゃない
何度も手を加えた 汚れた自画像にほら
また12色の心で好きな背景を描き足していく
(Any/2002)

Anyでは現状の立ち位置が望んでいないものだったとしても、間違っていない・正解は一つではないというメッセージが込められています。
「自画像」という汚れた現状を肯定した上で、「背景」というまだある余白には描き続けることができる、という曲名である「Any(多くの中のどれか)」を選んでいくというスタンスがみえます。

永続的状態として想定されない幸福

幸福は恒常的に維持される状態としては描かれません。むしろ、消えやすく、一時的であることが前提とされています。ここに、日本文化の無常観と接続する要素が現れています。

良かったことだけを思い出して
やけに年老いた気持ちになる
とはいえ暮らしの中で今動きだそうとしている
歯車の一つにならなくてはなぁ
希望の数だけ失望は増える
それでも明日に胸は震える
(中略)
今以上をいつもほしがるくせに
変わらない愛を求め歌う
そうして歯車は回る この必要以上の負担に
ギシギシ鈍い音を立てながら
(くるみ/2004)

「くるみ」は、幸福や希望が累積的に増えていくものではないことを明示しています。

「それでも」主体の胸は震えます。ここでの震えは、安定した幸福の兆候ではありません。

むしろこれは、

  • 期待と不安が同時に存在する状態
  • 希望が常に失望を伴うことを知ったうえでの反応

です。

したがって、幸福は「安心」や「充足」ではなく、不確実性を含んだ一時的な感情反応として位置づけられています。

同年代の友人達が家族を築いていく
人生観はさまざま そう誰もが知ってる
悲しみをまた優しさに変えながら生きてく
(中略)
やがてすべてが散りゆく運命であっても
わかってるんだよ 多少リスクを背負っても
手にしたい 愛 愛
負けないように 枯れないように 笑って咲く花になろう
ふと自分に迷うときは風を集めて空に放つよ
(花 -Mémento-Mori-/2001)

 

「花」というモチーフからも見えるように生の有限性を前提にした歌詞となっています。

この歌詞において、幸福は永続的状態として明確に否定されています。

  • 人生観は多様で標準化できない

  • すべては散りゆく

  • 愛や幸福はリスクを伴う

これらを前提としたうえで、なお主体は幸福や愛を選択します。

したがって、本楽曲が提示する幸福とは、

永続性を持たないことを理解したうえで、それでも引き受けられる価値

として定義できると考えます。

 

 

まとめ:ミスチル的自己啓発の構造的位置づけ

本稿では、Mr.Childrenの歌詞に内在する自己啓発的価値観を、次の三点に整理してきました。

第一に、主体は不完全であることを前提とし、自己否定を排除せず共存させること。
第二に、自己は他者・社会との関係性の中で成立し、欠点を含む他者や社会を遮断せずに共存すること。
第三に、成功を到達点として、幸福を永続状態として定義せず、生活の持続と納得に重心を置くこと。

その前提条件を最も早い段階で同時にあらわれていた楽曲が、「Tomorrow never knows(1994)」だと考えています。

第一:不完全性と自己否定を前提とした主体

とどまることを知らない時間の中で
いくつもの移りゆく町並みを眺めていた
幼すぎて消えた 帰らぬ夢の面影を
すれ違う少年に重ねたりして

ここで描かれる主体は、成熟や成功を獲得した存在ではありません。
過去の夢はすでに「帰らぬもの」として処理され、回収や克服の対象にはなっていません。

重要なのは、この喪失が自己否定として暴発しない点です。
主体は、失われた夢を否定も正当化もせず、現在の風景の中に静かに重ね合わせます。

この態度は、
自己を完成させることを目指さず、不完全性を前提に現在を生きる主体
という、本稿で整理した第一の前提と一致します。

 

第二:他者・社会との関係性の中で成立する自己

まだ明日は見えず
勝利も敗北もないまま
孤独なレースは続いていく

この「孤独なレース」は、社会からの離脱を意味しません。
むしろ、評価や勝敗が与えられないまま、社会的時間の中を走り続ける状態を指しています。

今より前に進むためには 争いを避けて通れない
そんなふうにして世界は今日も回り続けている

ここで示されるのは、欠点を含んだ社会構造の是認です。
争いや摩擦を含む世界を理想化せず、同時に否定もせず、
「そうした構造の中で回り続けている世界」として引き受けています。

これは、
欠点を持つ他者・社会を遮断せず、共存を規範とする自己像
という第二の前提に対応します。

 

第三:成功や永続的幸福を目標としない生の姿勢

果てしない闇の奥に
Oh 手を伸ばそう
誰かのために生きてみても
Tomorrow never knows

ここで主体は行動を選択しますが、その行動には成功の保証がありません。
「Tomorrow never knows」という言葉が示す通り、
未来は制御不能であり、結果は評価不能です。

つまり、

  • 成功するから進む
  • 幸福が続くから生きる

という論理は、最初から採用されていません。

心のまま僕はゆくのさ
誰も知ることのない明日へ

この最終行が肯定しているのは、
成功でも幸福でもなく、生活を続けるという選択そのものです。

これは、
成功を到達点として、幸福を永続状態として定義せず、
生活の持続と納得に重心を置く

という第三の前提が言語化されています。

Mr.Childrenの歌詞世界は、日本人の自己啓発観を反映し、同時に形成してきた最大公約数的な文化装置として位置づけられます。ここでいう文化装置とは、作品として反復的に消費されることで、価値観が生活者の内部に沈殿していく媒介のことだと考えています。
Mr.Childrenは、自己啓発を「教え」として提示せず、「態度」として提示することで、長期にわたり広範な共有を日本国内で実現してきたと考えています。

 

 

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